17日の更新で、日本冒険遊び場づくり協会が開催した
仙台での「ミニミニ全国集会」の視察についてお伝えしましたが、
本日はその続報です。
ミニミニ全国集会のメインイベントは、
15日(土)に行われた二つの分科会でありました。
ワタクシはそのうち、分科会2「震災後、遊び場づくりを始めて」に出て、
お話を聞いてきました。
いま東北には、ワタクシも5月に行った
気仙沼の「あそびーばー」をはじめ、
被災地遊び場がいくつか展開されているそうで、その報告です。
もちろん「あそびーばー」は今もしっかり活動されていて、
プレーカーによる気仙沼周辺での出前遊び場もはじめられています。
(写真は気仙沼で活躍しているプレーカー2号、現地で「あそぼっかー」と名付けられています)
さらに仙台市では、17日の更新でもお伝えしたように、
「ぼうひろ」のスタッフやボランティアさんたちにが、
市内の公園や、仮設住宅の敷地など4カ所で週に一度ずつ行っている
プレーカーによる活動が行われています。
(コチラは仙台で活躍しているプレーカー1号です)
それから、NPO法人「日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)」さんが
「にしのみや遊び場つくろう会」さんと共に
岩手県の野田村というところで、遊び場を展開しはじめておられるそうです。
(写真はNVNADの代表、“鉄の女”米山清美さん)
どこも、とても大切な活動をされているんですが、
15日の報告で、ワタクシ的に一番心が動かされたのは、
石巻市で遊び場をはじめられた方の報告でした。
石巻での活動の中心となっているのは、
仙台の西公園プレーパークというところに関わってこられた
阿部さんという、まだ30代ぐらいの若い独身男性です。
彼は石巻出身で、地元で働いているのですが、
それまで仙台ではともかく、まだ自然もコミュニティも残されている
石巻で遊び場は要らないだろうと思っていたそうです。
ところが3.11の津波で、石巻はとりわけ多くの人命が犠牲になってしまいました。
市内には、全校生徒の約7割が亡くなった小学校さえあったと言うのです。
「町の全員が、誰かしら親戚や友人を亡くした」状況の中で、
町中が喪に服したようになり、人々から笑顔が消え、
子どもたちも遊ぶ事をはばかっているような、そんな空気感の中で、
阿部さんは「子どもたちのために何かしなくては」
という思いに駆られて、仙台の仲間たち、そして地元石巻の人たちと一緒に
遊び場づくりをはじめられたそうです。
笑顔もまじえながら、リラックスして話されている阿部さんでしたが、
会場は静まり返って耳をそばだてていました。
いつも思う事ですが、「子どもたちに自由な遊びを!」という
私たちの活動はまだまだ世の中に知られていなくて、
賛同してくださる方も少なくて、
「被災地での遊び場が増えた」なんて言っても、
それは広大な被災地全体から見れば、
大海の一滴、砂漠の一粒みたいなものです。
それでもみんな、それぞれ自分にできる事をしようとがんばっています。
私たちもとにかく、「忘れない」という事を大切にして、
地道に募金活動など、続けていきたいと、改めて思いました。