世話人兼、はらっぱweb管理人のアタル!です。
実は去る15日(土)と16日(日)、仙台に行って来ました。


日本冒険遊び場づくり協会という、プレーパークを日本中に広めていこう!
というNPO団体の「ミニミニ全国集会」という集まりに行って来たんです。
この「ミニミニ全国集会」は、仙台で活動する協会員の方々が、
「ぜひ全国の遊び場づくりの仲間たちに、被災地の現状、
そして被災地における“子どもの遊びの支援”の現状を見て欲しい」
という思いから企画され、自らも被災者でありながら苦労して準備され、
実現にこぎつけられたものです。
まずは15日(土)朝10時に仙台駅前に集合し、貸し切りバスで
若林区にある「海岸公園冒険広場(以下ぼうひろ)」の現状視察。

ぼうひろのあった荒浜地区は、
仙台市の中でも、特に津波の被害がひどかった地域でした。
しかし、ぼうひろは海岸沿いにあったにも関わらず、
公園をつくる際に、展望台のある小高い丘(海抜約15m)を
つくっていたことから、奇跡的に難を逃れたのです。
この日の視察も案内してくれたプレーリーダーの根本さん
というNPO団体の「ミニミニ全国集会」という集まりに行って来たんです。
この「ミニミニ全国集会」は、仙台で活動する協会員の方々が、
「ぜひ全国の遊び場づくりの仲間たちに、被災地の現状、
そして被災地における“子どもの遊びの支援”の現状を見て欲しい」
という思いから企画され、自らも被災者でありながら苦労して準備され、
実現にこぎつけられたものです。
まずは15日(土)朝10時に仙台駅前に集合し、貸し切りバスで
若林区にある「海岸公園冒険広場(以下ぼうひろ)」の現状視察。

ぼうひろのあった荒浜地区は、
仙台市の中でも、特に津波の被害がひどかった地域でした。
しかし、ぼうひろは海岸沿いにあったにも関わらず、
公園をつくる際に、展望台のある小高い丘(海抜約15m)を
つくっていたことから、奇跡的に難を逃れたのです。
この日の視察も案内してくれたプレーリーダーの根本さん
(4年ぐらい前まで、NPO法人プレーパークせたがやの事務局に
勤めていた方です)は、震災当日も現場におられました。

14:46に地震が起こった後は、公園のスタッフの一人として
まず来園者を避難させ、次いで自分たちも逃げようと準備をされていると、
お年寄りを含めた地元の方が3名、
「このあたりで一番高い場所はここだ」と来園されたことから、
一緒に残ることに決められました。
そして、15:50頃津波が襲って来ました。
ぼうひろの周囲は、松林がびっしりと植栽されていて、
実は海岸公園とは言うものの、「海なんてほとんど見えなかった」
そうなのですが、その松が「バキバキ~!」と音を立てて倒れ、
あっという間に、辺り一面が海に没したそうです。

現在は、海がよく見えます。

ワタクシは被災以前のぼうひろに行った事がないので
実感がわかないのですが、
確かに丘の周囲を見ると、かつてここがうっそうとした
松林であったことを物語るかのように、
木が何重にも折り重なって倒れています。

そしてこちらの写真、分かりますでしょうか?
助かった部分と被害にあった部分の境界線が見えます。
ちなみに、この写真は丘の南側で、反対の北側は、

現在、がれき置き場になっています。こちらも以前は松林だったそう。
この写真を見ても、公園の復活にはまだまだ時間がかかりそうなことが分かりますよね。
ちなみに、丘のやや下にある管理事務所は津波に呑まれています。
その事務所の時計が、津波の到達した高さと時間を示しています。

ぼうひろは、2005年開設。
できてまだ6年しか経っていない公園で、
しかも市街地から外れている事から、
開園前には来園者がいるのか?といぶかられていたそうですが、
指定管理者として公園の運営をされていた
「NPO法人冒険遊び場せんだい・みやぎネットワーク」さんの尽力もあって、
週末には、臨時駐車場(全部で400台分!)を開放してもなお、
周辺の道路に車の列ができるほど、たくさんの利用者があり、
そして、とても愛されていた公園だったそうです。
それが証拠に、震災のあと、こんな張り紙があったり、

ぼうひろのブログには、たくさんの再開を望む声が書き込まれていたそうです。
現在、ぼうひろのスタッフやボランティアの皆さんは、
近隣の公園や学校に遊び道具を載せた車などで
出かけて行って、遊び場を展開されています。


仮設住宅の敷地内や校庭など、4カ所の遊び場に、
週一回ずつ行かれているそうです!
阪神淡路大震災のときもそうでしたが、
公園に仮設住宅が建ったり、今回のぼうひろのように被災して
使い物にならなくなったりして、子どもの遊び場は極端に減ってしまいます。
公園が残されたとは言え、周囲が壊滅的な打撃を受けた
ぼうひろの再開時期はまだまだ見えていなくて、
スタッフの皆さんの契約などもどうなるかまだはっきりとは
分からないなかで、とにかく、子どもたちのために、
今できる事を!とがんばっておられます。
私たちも、まだまだがんばって支援を続けていきたいな、と
改めて感じた視察となりました。

14:46に地震が起こった後は、公園のスタッフの一人として
まず来園者を避難させ、次いで自分たちも逃げようと準備をされていると、
お年寄りを含めた地元の方が3名、
「このあたりで一番高い場所はここだ」と来園されたことから、
一緒に残ることに決められました。
そして、15:50頃津波が襲って来ました。
ぼうひろの周囲は、松林がびっしりと植栽されていて、
実は海岸公園とは言うものの、「海なんてほとんど見えなかった」
そうなのですが、その松が「バキバキ~!」と音を立てて倒れ、
あっという間に、辺り一面が海に没したそうです。

現在は、海がよく見えます。

ワタクシは被災以前のぼうひろに行った事がないので
実感がわかないのですが、
確かに丘の周囲を見ると、かつてここがうっそうとした
松林であったことを物語るかのように、
木が何重にも折り重なって倒れています。

そしてこちらの写真、分かりますでしょうか?
助かった部分と被害にあった部分の境界線が見えます。
ちなみに、この写真は丘の南側で、反対の北側は、

現在、がれき置き場になっています。こちらも以前は松林だったそう。
この写真を見ても、公園の復活にはまだまだ時間がかかりそうなことが分かりますよね。
ちなみに、丘のやや下にある管理事務所は津波に呑まれています。
その事務所の時計が、津波の到達した高さと時間を示しています。

ぼうひろは、2005年開設。
できてまだ6年しか経っていない公園で、
しかも市街地から外れている事から、
開園前には来園者がいるのか?といぶかられていたそうですが、
指定管理者として公園の運営をされていた
「NPO法人冒険遊び場せんだい・みやぎネットワーク」さんの尽力もあって、
週末には、臨時駐車場(全部で400台分!)を開放してもなお、
周辺の道路に車の列ができるほど、たくさんの利用者があり、
そして、とても愛されていた公園だったそうです。
それが証拠に、震災のあと、こんな張り紙があったり、

ぼうひろのブログには、たくさんの再開を望む声が書き込まれていたそうです。
現在、ぼうひろのスタッフやボランティアの皆さんは、
近隣の公園や学校に遊び道具を載せた車などで
出かけて行って、遊び場を展開されています。


仮設住宅の敷地内や校庭など、4カ所の遊び場に、
週一回ずつ行かれているそうです!
阪神淡路大震災のときもそうでしたが、
公園に仮設住宅が建ったり、今回のぼうひろのように被災して
使い物にならなくなったりして、子どもの遊び場は極端に減ってしまいます。
公園が残されたとは言え、周囲が壊滅的な打撃を受けた
ぼうひろの再開時期はまだまだ見えていなくて、
スタッフの皆さんの契約などもどうなるかまだはっきりとは
分からないなかで、とにかく、子どもたちのために、
今できる事を!とがんばっておられます。
私たちも、まだまだがんばって支援を続けていきたいな、と
改めて感じた視察となりました。
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